wed 水曜日のエミリア

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ユダヤ人について考察

ブラック・スワン

アカデミー賞 2011年度 主演女優賞 『ブラック・スワン』で受賞したナタリー・ポートマン主演の映画です。エミリア役は当初、ジェニファー・ロペスが演じる予定でしたが、ジャニファー・ロペスの降板によって、脚本に惚れ込み製作総指揮として携わったナタリー・ポートマンが演じることになったといいます。

舞台はNY。ナタリー・ポートマン演じるエミリアはNYで弁護士をしています。夫はナタリーが新人として入った大手弁護士事務所の幹部社員であったジャック(スコット・コーエン)。ジャックには家庭があり、妻は小児科のエリート医師であるキャロリン(リサ・クドロー)。二人の間には8歳になる息子ウィリアム(チャーリー・ターハン)がいました。エミリアは職場の上司ジャックと不倫のすえ、妊娠します。ジャックは冷え切った関係になっていた妻と離婚し、エミリアと結婚。ウィリアムは基本は母親の家で暮らしているのですが、母親と父親の家を行き来していました。エミリアは無事女児を出産し、赤ちゃんにイサベルと名付けるのですが、イサベルは生後わずか3日で亡くなってしまいます。喪失のかなしみからまだ抜け出せないでいるエミリア。そして、夫と全妻の間の子供のウィリアムとの関係もどうもうまくいかないのでした…

いわゆる「略奪婚」での家庭を築いているエミリアとジャック。エミリアは不倫だけで終わらずに、相手の家庭を壊しての結婚。自分の幸せに貪欲であったがゆえに、自分の思いを貫き通してまで結婚に至ったエミリア。映画には関係ないけれど、ナタリー・ポートマンも「略奪婚」した経験者。結婚したお相手のバンジャマン・ミルピエをバレリーナのイザベラ・ボイルストンから奪い取っての結婚。ナタリー・ポートマンの肩を持つならば・・バンジャマン・ミルビエとイザベラ・ボイルストンは結婚していたわけでもないから、まだ許せるような気もします。「ブラックスワン」でバンジャマン・ミルビエがコレオグラファーになったことから交際が始まったらしいけれど、ニューヨークシティーバレエ団のプリンシパルまで登りつめた男であるバンジャマン・ミルビエは、溢れる才能を持ちその才能だけではなく、文字通り血のにじむ努力はもちろん絶対に必要なわけで、それにプラスかなりの上昇志向がないと、プリンシパルの地位までいけないはず。他のライバルを蹴散らし、野心丸出しでいかなくては、プリンシパルまでなれない。やっぱりそれだけ上昇志向がある男だから、3年間同棲していたイザベラ・ボイルストンを捨ててナタリーの所に走ったのだと思う。上昇志向満々の男が、ハリウッドスターとバレリーナを天秤にかけたら、当然ながらハリウッドスターでしょう~!おまけにナタリー・ポートマンと「でき婚」だから、バンジャマン・ミルビエは確信犯だと思う。年頃の女性を妊娠させるんだから。捨てられた形のイザベラ・ボイルストンは「ABT(アメリカン・バレエ・シアター)」で2010年6月にソリストへ昇格したそうです。イザベラ・ボイルストン、彼との別れを踏み台にして頑張ってほしいと思います。

タイトルの「水曜日のエミリア」ですが、なぜ水曜日かというとそれは、「継母」としてジャックの8歳になる息子ウィリアム(チャーリー・ターハン)を迎えにいく曜日。そこから邦題のタイトルはネーミングされたと思います。日本では親が登下校につきそう方が珍しく、集団登校だったり子供のみでの登校が当たり前ですが、アメリカでは日本ほど治安がよくないため、小学校への家族の送り迎えは当然の習慣のようです。スクールバスが到着するバス停までだったり、または家族が車で学校まで送迎したり。水曜日はウィリアムがジャックの家に泊まりにくる日。だから、小学校へのお迎えはエミリアの役目というわけです。その水曜日はエミリアにとってはブルーな日なんですね~。弁護士だけにエミリアも弁が立ちますが、8歳のウィリアムの優秀な両親の元で生まれたから?!議論好きなアメリカ人だから?!かどうかは分かりませんが、8歳だけど口達者。おまけに家庭を壊したエミリアに対して何かと反抗的です。それはブルーになる水曜日というのも分かりますね~

映画の前半では、エミリアの身勝手さがこれでもかと描かれています。

好きになったからと、家庭があると知っていながらジャックに近づいていきます。妻キャロリンが美人でしかも優秀な医師だと聞かされ、まるでライバル心を煽られるかのように、ジャックを奪ってやるぞ!とでも言いましょうか。私に負けることはない。思ったことは貫くわ!とばかりと傲慢な態度をとり、「家庭を壊すことができない」と言うジャックに対し、避妊に失敗して妊娠したと打ち明けます。避妊に失敗って10代の小娘でもないのに、おそらくエミリアの作戦?!かも。と思いたくなります。

もちろん、誘惑するエミリアも悪い。裏切り行為をして誘惑に乗ってしまうジャックの方がもっと悪いのですが、妻と別れるというけじめをつけてエミリアと結婚をします。エミリアの身勝手ぶりはまだまだあります。友人のミンディが流産した時は、「すぐまた出来るわ」と言い(これは全然慰めにもならず、逆に怒りを買うでしょう)、自分の子供イサベルが亡くなると、慰めてくれるミンディに対し「胎児と乳児は大違い」とまで言ってしまうところが、自分を中心に考えているエミリアらしい発言ですね。さすがにこの時はミンディに対して謝罪はしますが、私だけが不幸なの・・・という自己憐憫で自己中な姿が満載です。

エミリアにとっては裁判官である父親が浮気のために母親と離婚したことが、今でも許せないらしい。後にジャックが、”なぜ自分を好きになったか”と問うシーンでジャック自身が指摘しているのですが、”法律家で家族を捨てた浮気者”という意味でエミリアの父親とジャックはとても共通している部分があります。エミリアは父親的保護を求めてジャックの元へ走って行ったのかもしれません。それを彼女は認めませんけれど・・(友人に、ジャックは道徳家で(浮気を繰り返し家庭を捨てた)父親とは違う。と勘違い発言までしている程)家庭を捨てた父と浮気された母。そんな離婚した両親が復縁すると知って、エミリアは怒りをぶつけます。ずっと浮気を続けてきた父への怒りはもちろんのことですが、そんな父を許した母も彼女には理解できません。浮気症で憎んでいる父親とウィリアムが仲良くしていることも、エミリアには不愉快で我慢なりません。

エミリアは自分に厳しいのはもちろんですが、とにかく他人にもとっても厳しいエミリア。「思い通りにいかない」ことへイライラを募らせていきます。出産三日後に娘イザベルが突然死で他界してしまったことによって、深い喪失感に傷つきなかなか立ち直れないイザベルの人生の歯車はイザベルの死後から何かが噛み合わなくなり、ジャックの8歳の息子ウィリアムとの関係もぎこちなく、また何かと口うるさい前妻キャロリンからの注文に苛立ちを募らせ悩み多き日々を過ごしていたのです。 一言で言えば「こんなはずじゃなかったのに」というのがエミリアの率直な気持ちだったのでしょう。

やたらと実母キャロリンの言い付けを口にし自分の事を告げ口をするウィリアム。そんなウィリアムとぎくしゃくして当たり前ですし、別れた妻キャロリンにも何かとぎくしゃくするエミリア。相手はまだ子供だとは分かってはいても、強気なエミリアはウィリアムを通して見えるキャロリンの存在を強く意識するあまり空回りしてしまうのかもしれません。

ジャックはどんな男なんでしょう。なにかと告げ口するウィリアムにも理解を示し(自分が原因で離婚したんだから当たり前)前妻のキャロリンが過干渉でいろいろエミリアにも言ってきますが、そんなキャロリンにも非情に寛容。理解をしめせる男は、かなり大きな心の器を持っていると思います。そういう男だからこそ、エミリアは惹かれたのでしょう。それだけ寛容な男でも、だんだんエミリアに対して限界が近づいてきます。

人間観察のしっかりしたベテラン弁護士らしいジャックは、父親を非難する言葉を口にしたエミリアに対して、”君は愛する者に厳しい”と返答するジャックの言葉を放ちます。ジャックはエミリアの抱えている問題と自分との結婚に関わりがあるのではないかと思ったからではないでしょうか。そして、別の場面では「娘を亡くしたからといって何でも許されると思うな」。かなり寛大な男のジャックに、ここまで言わせてしまったエミリア。

なぜここまで、エミリアはなってしまったのか・・・娘を生後3日後に亡くしてしまったエミリアの娘は、乳幼児突然死症候群(SIDS: sudden infant death syndrome)による死亡と診断されています。しかし、気がついたら揺りかごで死んでいたというのは嘘で、実際には、エミリアが娘を抱きかかえたまま眠っていた間に亡くなり、エミリアは自分の責任による窒息死だと罪悪感を抱いていたので彼女は罪の意識にさいなまれていたのです。

母親はお腹の中で10か月胎児の命を育み、ようやくこの世に生を受けそのわずか3日後に突然死で失ってしまうことすら、現実を受け入れるのには難しいと思います。それを赤ちゃんを抱っこしていて、つい眠ってしまっている間の腕の中で赤ちゃんを亡くしてしまったなら、私のせいだ・・私が寝ていたばっかりに・・と思って当たり前です。産後で体力もまだ戻っていないところに、突然娘を亡くすなんて。彼女が深い喪失感と悲しみそして罪悪感。やり場のないモヤモヤをエミリアは他者に厳しく当たることで、モヤモヤを解消しようとしていたのかもしれません。結果それがまた負の連鎖となってしまうのですが。

前妻キャロリンとジャックの子供であるウィリアムの心の成長も映画の中で描かれています。両親を離婚させたと思っているでしょうし、なかなかエミリアになつきません。それどころか、使う人がいないベビーベットに子ども部屋をみて「ネットで売ればいいよ」とエミリアに言ったりします。当然ながらエミリアはウィリアムに激怒しますが。 かなり口達者な小学生の男の子ですが、乳糖不耐症(乳糖を摂取した後,腹痛,腹鳴,水様下痢などが起こる消化不良症)のため医者の母親に過保護に育てられていたので、他人の気持ちを思いやることができない子供です。(エミリアもある意味ウィリアムと似ている)ウィリアムも両親が別々に暮らすことになり、大人の都合で・・・と怒りを持っているはずだと思います。きっとウィリアムも、妹の誕生に何かを感じていたのに、その何か?はなんだろう。。と理解する前に、あっという間に妹がいなくなってしまって。とウィリアムもなにか心の中でモヤモヤした気持ちを抱いていたのではないでしょうか。そんなウィリアムですが、エミリアの父と血のつながらないウィリアムは仲良くなります。そんな交流を深めていくうちに、エミリアのことも母親ではないけれど「家族」として認識するようになります。そんなウィリアムが、彼なりにエミリアの哀しみを理解しようとして、死んだ妹を天使として家族の絵に描くようになり、最後には異父弟の誕生を楽しみにするようにまでになります。家族の絵に両親とエミリアと天使の妹を描いたウィリアムにとっての「家族」は、離婚・再婚も珍しくないアメリカ。そして実子の他に養子縁組をするのも珍しくはありません。そんなアメリカ社会のこれからの家族の姿を現しているのかなとも思えます。血はつながっていないけれど「家族」。

辛い思いをしているのも、悲しみを抱えて癒えずにもがき苦しんでいるのもエミリアだけではありません。エミリアの両親も子供を流産してしまった友人、そしてジャックの前妻キャロリンも、人はみな幸せになりたいと願い決して器用でもなく不様だったりしながらも精一杯生きているのです。エミリアも父と向き合い、キャロリンの助けでイザベルの死の真相を知りようやく自分が見失ってた大切なことに気付くのですが、残念ながら時は既に遅しなのかジャックのエミリアへの気持ちが冷めてしまっていたのです。寛容な男も限界があったんですね。「君は愛する者に厳し過ぎる。」という言葉を残して、彼女の元を去っていくのでした。

でもそんなエミリアをまたしても救うのがウィリアムなんです。両親の離婚の原因を作った(と思っている)エミリアに対してあまり心を開けずにたウィリアム。でもウィリアムもエミリアを分かってあげようとしていたんですね。そしてエミリアが心に負う深い傷を誰よりも察していたのもウィリアムだったのです。

エミリアはキャロインから、娘の死が医学的にSIDSによる死亡であったこと、彼女が抱いていた時に亡くなったのは単なる偶然であったことを知らされます。キャロインは息子のウィリアムから頼まれたとはいえ、エミリアに語るキャロリンの言葉からは、優秀な医師としての医学的見地ではなく、同じ母親としての立場での言葉です。ようやくエミリアはイザベルの死を「仕方のないことだった」と受け入れることができました。自分の思い通りにしたいエミリアが、「人にはどうしようもできないことはある」ということを受け入れられるようになりました。

若い継母が、うんざりしながら、実子ではない思春期の息子と付き合いながら、最後は、お互いのよき理解者になっていくという人間としての成長が映画で描かれています。

ラストにウィリアムが「僕はイサベルの生まれ変わりにいつか会うよ」と言い始めます。「輪廻転生を信じるから僕は仏教徒になるよ」とエミリアにいう場面があるのですが、ウィリアムの母キャロインが一神教のユダヤ教徒であることの対比として言っています。ユダヤ教の死生観は、一般的な宗教に見られる「死後の世界」というものは存在せず、最後の審判の時にすべての魂が復活し、現世で善行(貧者の救済など)を成し遂げた者は永遠の魂を手に入れることができ、悪行を重ねた者は地獄に落ちると考えられているので、「人が何度も生死を繰り返す意味の輪廻転生」とは死生観がまったく違います。なぜウィリアムに生まれ変わりを信じるとセリフで言わせたのでしょう。この映画の鍵はそこにあると思います。

イザベルを失った喪失。どのように喪失から回復できたのでしょう。キャロインから言葉を「受け入れた」ことからです。突然死はやむ得ないもの。こればかりはどんなにあがいても人為だけでこの世はなりたっているのではない。自分だけがくるしんでいるのではなく、他者も何かしらに苦しんでいることをすこしでも「理解」する。つまり相手を受け入れることから、自分も相手に受け入れられていく。ということにきづかされたのではないでしょうか。

邦画タイトルは『水曜日のエミリア』ですが、原題は『LOVE AND OTHER IMPOSSIBLE PURSUITS/THE OTHER WOMAN』直訳すると「愛および他の不可能な追求」になるが、”OTHER”は前詞”LOVE” とは”別”という意味で「愛と無理な追求」という意味になると思いますが、主役のエミリアだけでなく、ジャック、ウィリアム、そしてジャックの元妻キャロリンにも同じことがいえることなのではないでしょうか。

ジャックはエミリアと息子への愛とキャロリンの要求の板ばさみになり、ウィリアムは母親への愛と現実、キャロリンは息子への愛と現実。とそれぞれが至極尤もな主張をしているのですが、複雑な状況が物事を困難にさせる。それゆえにどれもが”無理な追求”となっていくのです。

  • 監督・脚本:ドン・ルース
  • 原作:アイアレット・ウォルドマン『LOVE AND OTHER IMPOSSIBLE PURSUITS/THE OTHER WOMAN』
  • 製作総指揮 ナタリー・ポートマン 、 アビー・ウルフ=ワイス 、 レナ・ロンソン 、 カシアン・エルウェス
  • エミリア(新人弁護士、ジャックの妻)/ナタリー・ポートマン
  • ジャック(上司の弁護士、エミリアの夫)/スコット・コーエン
  • ウィリアム(ジャックの8歳の息子)/チャーリー・ターハン
  • ミンディ(エミリアの親友の女性)/ローレン・アンブローズ
  • キャロリン(小児科のエリート医師、ジャックの前妻)/リサ・クドロー
  • 2009年・アメリカ映画・102分

原作者アイアレット・ウォルドマンは、本作のエミリアと同じくユダヤ系アメリカ人です。1964年イスラエル・エルサレム生まれ。モントリオールとニュージャージーで育ちました。ハーバード・ロー・スクールを卒業後、カリフォルニアで3年間官選弁護人を務めます。その後、主婦業のかたわら執筆活動を開始、小説・エッセイの分野で活躍中です。育児と結婚生活に関する発言でも注目されています。夫はピューリツァー賞作家であり『スパイダーマン2』の脚本で有名なマイケル・シェイボン。現在は夫と4人の子供とともにカリフォルニア在住中。

主演のナタリー・ポートマン1981年イスラエル・エルサレム生まれ。1999年にハーバードへ進学し心理学を専攻し2003年に卒業しています。

この映画のナタリー・ポートマンは、本人に近いのでは?と思えるほど、ぴったりの役です。ハーバード出身のエリート、美人、お金持ち(判事の娘)という役でひとに完璧を求める。ナタリー・ポートマン自身も一生懸命な感じの女優で、実際に「努力をしない自分が嫌い!人間は与えられた使命を全うするために生きていると思うから。」と言っているので、エミリアと類似点が多いですね。勉強も一生懸命やらないと気がすまない。ちなみにビーガン主義です。ジェニファー・ロペスではなくて良かった。と思ってしまうほどの、はまり役です。

ジェニファー・ロペスも、もちろんトップ女優で美人ですし、わがままな点などはエミリアにぴったりです。ジェニファー・ロペスの女王ぶりはすごいらしく、有名なものですと宿泊先のホテルに必ず出される要求には、

1.部屋の壁は白く塗装されている。2.飾花は白いユリまたはバラ。3.ディプティック(Diptyque)社製の白いキャンドルを部屋中に配置。4.室温は25.5度に設定。これが絶対最低限必要とのこと。白が大好きなようで、彼氏にも白い服を強要していたようなエピソードもありました。そんなわがままでは文句なしのジェニファー・ロペスですが、プエルトリコ系なのでエミリア役の設定としては、ナタリー・ポートマンの方がしっくりきます。それにジェニファー・ロペスは歌手としてのイメージも強く、音楽で築いたキャリアもすごいのすが、弁護士役の設定ですからやはりハーバード出身のナタリー・ポートマンの方が、観客としてもエミリア役に投影しやすいと思います。