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著名なユダヤ系アメリカ人 ~実業家編

ローレンス・エドワード・“ラリー”・ペイジ

Lawrence Edward "Larry" Page(Google創業者)1973年アメリカ合衆国・ミシガン州ランシング生まれ。祖父は、ゼネラルモーターズの工場労働者。父は、ミシガン州立大学で計算機科学・人工知能教授のカール・ビクター・ペイジ。母はユダヤ人のグロリア・ペイジで、母もミシガン州立大学でコンピュータプログラミングの教師をしています。6歳の頃からコンピュータを触り始めます。ミシガン大学では計算機工学を専攻し、1995年に学士(計算機工学)号を取得。卒業後、スタンフォード大学計算機科学の博士課程に進学し、テリー・ウィノグラードの指導の下、ウェブのリンク構造、人間とコンピュータの相互作用、検索エンジン、情報アクセスインタフェースの拡張性、個人的なデータのデータマイニング手法などを研究します。スタンフォード大学へ在学中に、同じくスタンフォード大学計算機科学の博士課程に在籍していたセルゲイ・ブリンと出会い、The Anatomy of a Large-Scale Hypertextual Web Search Engine(大規模なハイパーテキスト的なウェブ検索エンジンに関する解剖)と題された論文を共著で執筆し、修士号を取得。その後スタンフォード大学を休学し、1998年にGoogle社をセルゲイ・ブリンと共同設立しました。論文は、ページランク技術(ペイジは、彼の姓に由来)に取り入れられることになりました。現在、203億ドルの純資産を有しており、自家用ボーイング767で世界中を飛び回るジェットセッター。

セルゲイ・ブリン 

Sergey Brin(Google創業者)1973年ソビエト連邦・モスクワに住む東欧系ユダヤ人の家庭に生まれした。ロシア語名は、セルゲイ・ミハイロヴィッチ・ブリン。父は数学者でメリーランド大学の数学教授、母はアメリカ航空宇宙局の研究員。1979年、6歳の頃に家族でアメリカ合衆国へ移住。ロシア語と英語のバイリンガルになりました。ラリー・ペイジと同じく、幼少時からコンピュータに興味を持ち始め、1990年メリーランド大学に入学し、計算機科学と数学を専攻。1993年に理学士号を取得。卒業後、米国科学財団から特待生として認められ、スタンフォード大学にて計算機科学の修士課程に進みます。スタンフォード大学ではインターネットに関心を持つようになり、検索エンジンや構造化されていないソースからの情報抽出法、莫大なテキストデータや科学データのデータマイニング手法などを研究し、学会誌にも多数の論文を発表しました。1995年に、計算機科学の修士号を取得。ラリー・ペイジとはスタンフォード大学在学中に知り合いましたが、初めは仲が良くなかったようですが、やがて「膨大なデータの集合から関連した情報を検索するシステムを作る」という共通する関心があることに気づき、The Anatomy of a Large-Scale Hypertextual Web Search Engine(大規模なハイパーテキスト的な Web 検索エンジンに関する解剖)と題された検索エンジンに関する論文をペイジとの共著で執筆し、スタンフォード大学の博士課程を休学。1998年に Google 社を共同設立。現在、技術部門担当社長。

スティーブン・アンソニー・バルマー 

Steven Anthony Ballmer(マイクロソフトCEO)1956年ミシガン州デトロイトに生まれ。父はスイスからのドイツ系ユダヤ人移民で、フォード・モーターにマネージャーとして勤務していました。母はベラルーシのピンスク出身。東欧系ユダヤ人移民二世。高校時代にSAT(大学進学適性試験) の数学で800点満点を得点するなど数学に秀でた才能を発揮、1973年に4.0の GPA(成績評価指標) で卒業、クラスの卒業生総代となりました。卒業後はハーバード大学へ進学。ハーバード大学在学時には、後に中退しマイクロソフトを設立するビル・ゲイツとは同じ学生寮の同じ部屋に住んでいました。アメリカンフットボールチームのマネージャーや、学内機関紙の広告部長を務めながらも、1977年、第2位優等 (magna cum laude) で卒業。数学と経済学の学士号を取得。卒業後はプロクター・アンド・ギャンブル(P&G)でアシスタントプロダクトマネージャーを2年間務めます。。経営学修士を取得するためにスタンフォード大学経営大学院にも通学しましたが、、ゲイツに説得され中退。1980年6月、ゲイツが初めて採用したビジネスマネージャー(事業担当管理職)としてマイクロソフトへ入社、マイクロソフトの30人目の従業員となりました。その後、オペレーティングシステム開発、経営、販売、サポート事業部門長などを経て、1998年7月には社長に昇進。2000年1月にはゲイツの辞任に伴い最高経営責任者に就任。バルマーは、技術者肌であるゲイツに対して経営のアドバイザー的な役割を果たし、マイクロソフトを大企業に仕立て上げた立役者といわれています。

マイケル・ソール・デル 

Michael Saul DellM・デル(Dell創業者・CEO)1965年裕福なユダヤ人の家庭で、テキサス州ヒューストンで生まれました。父は、歯科矯正医。母は、株式仲買人。その母の影響で、早くから商才を発揮しました。まず、12歳の頃に流行していた切手収集に着目。切手のカタログを作成して雑誌に広告を出して、2,000ドルを稼いでいます。。16歳の頃には、新聞の新規購読勧誘のアルバイトで新婚家庭や転居者に的を絞ったアプローチを行い、18,000ドルを稼いでいます。やがてコンピュータに興味を持ちだし、15歳の頃に買ってもらったApple IIを好奇心から分解します。さらに、店頭に売られているコンピュータを分解、強化されたコンポーネントで組み立ててアップグレードしては友人に販売していたデルは、これが大きなビジネスチャンスになると確信することになりました。しかし両親は医学部への進学を望み、1983年にテキサス大学オースティン校に入学。在学中も、コンピュータをアップグレードしてはお金を稼いでいました。1984年19歳の頃に、1,000ドルという少しの資金を元手に学生寮の自室でコンピュータ会社「PC's Limited」を起業。同年に大学を中退。本格的な会社の経営に乗り出します。「販売店やディーラーを介さず、注文生産の製品を直接顧客に販売する」というコンピュータ業界初の直販制度を採用したことで会社は急成長。1988年には24歳の若さで NASDAQ に株式公開を果たし、同年に社名を「デル・コンピュータ」と改めます。1992年に会社はフォーチュン500入りを果たし、デルはフォーチュン500社中最も若い最高経営責任者になりました。2003年には製品ラインを拡大し社名を「デル」に改名。

ハワード・シュルツ 

Howard Schultz(スターバックスCEO)1953年、両親はユダヤ系ドイツ人移民のアメリカ人のもと、ニューヨーク・ブルックリンに生まれました。退役軍人の子として生まれたため、苦しい暮らしを余儀なくされながらも、アメリカンフットボールの特待生でノーザン・ミシガン大学を卒業。ゼロックスに入社。その後、雑貨会社の副社長に転じました。そこで、コーヒーメーカーを大量に仕入れたスターバックス社を知り1982年に入社。当時はわずか4店舗でした。1985年独立、エスプレッソ小売店を創業。1987年400万ドルでスターバックス社を買収。 シアトルの一コーヒーショップに過ぎなかったスターバックスを、世界的な規模に成長させた立役者です。