メインビジュアル

著名なユダヤ系アメリカ人 ~音楽家編

レナード・バーンスタイン

Leonard Bernstein(指揮者)  1918年、ウクライナ系ユダヤ人移民の2世としてマサチューセッツ州ローレンスに生まれました。生まれた当初の名前はルイス(後にレナードに改名)。父親サミュエルは敬虔なユダヤ教徒でした。1958年、アメリカ生まれの指揮者として史上初めてニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団の音楽監督に就任。バーンスタインとニューヨーク・フィルのコンビは大成功で、同フィルの黄金時代をもたらしたと言われています。スター性もかなりあり、興に乗ると指揮台上でジャンプすることもあった、魅力的な人柄とそのパフォーマンスで、ファンを魅了していました。20世紀後半のクラシック音楽界をリードしてきたスター音楽家といえるでしょう。

ジョージ・ガーシュウィン 

George Gershwin (作曲家)1898年ユダヤ系ロシアの移民の息子として、ニューヨークのブルックリンに生まれました。通称『完璧な音楽家』ともいわれています。出世作は、作詞家アーヴィング・シーザーとの共作で1919年の歌曲「スワニー」。当時の人気歌手アル・ジョルソンに気に入られて彼が繰り返し歌ったことからヒットし、人気ソングライターとなりました。1920年代以降は、作詞家となった兄アイラ・ガーシュウィンと組んで、レビューやミュージカル向けに多くのポピュラー・ソングを送り出したました。今でもスタンダード・ナンバーとして歌われている歌曲は『私の彼氏(The Man I Love)』『バット・ノット・フォー・ミー』『アイ・ガット・リズム』などをはじめとして、おびただしい数に上ります。クラシックにも取り組み、1924年には『ラプソディ・イン・ブルー』(Rhapsody in Blue)を発表。オーケストレーションにファーディ・グローフェの協力を得て、ジャズとクラシックを融合させたこの作品は「シンフォニック・ジャズ」の代表的な成功例として世界的に評価されました。その後独学でオーケストレーションを学び、いくつかの管弦楽作品を残しています。そのひとつ『パリのアメリカ人』(An American in Paris、1928年)もよく知られている作品です。

ボブ・ディラン 

Bob Dylan(ミュージシャン) 1941年ミネソタ州ダルースに生まれました。祖父母はロシアのオデッサ(現ウクライナ)やリトアニアからの移民。父エイブラハム・ジマーマンと母ビアトリス・ストーン(愛称ビーティー)の間に生まれました。両親は小規模だが絆の固いミネソタのアシュケナジム・ユダヤ人の一員です。ボブ・ディランには数々のヒット曲がありますが、他のアーティストにもかなりの影響を与えてきました。

「ディランは最高だった」 - ジョン・レノン

「僕はジマーマンを信じない」- ジョン・レノンの曲「ゴッド」より。ディランを含むあらゆる権威への依存を止め、個人として前向きに生きていこうとする決意表明。

「自分達が難解な歌詞を曲にできるようになったのは、ボブ・ディランが売れた前例のおかげ」 - スティーリー・ダン

「ボブ・ディランのような歌詞を、フィル・スペクターのようなサウンドに乗せて、ロイ・オービソンのように歌いたかった」 - ブルース・スプリングスティーン

2012年、レコードデビュー50周年を迎えた年に、アメリカ大統領のバラク・オバマより大統領自由勲章(文民に贈られる最高位の勲章)が授与されました。ボブ・ディランの受賞は、グラミー賞 11回受賞。アカデミー賞 1回受賞。ゴールデン・グローブ賞 1回。

エイミー・ワインハウス 

Amy Winehouse (ソウル、ジャズ、R&Bのシンガーソングライター)1983年、イギリスはミドルセックス州エンフィールドで、ユダヤ人の両親のもとに生まれました。父親は元タクシー運転手で、母親は薬剤師。母方の叔父はミュージシャンがいます。彼女の個性的な髪型ですが、1960年代に流行したビーハイブヘア。髪型と同じく1960年代の初期ソウルミュージックを思わせる生演奏のバンドを従えて、ビリー・ホリデイにも例えられるハスキーな歌唱が持ち味です。

薬物中毒やアルコール依存症などスキャンダルの多い人物で、2007年8月に夫と共に飲酒・薬物のリハビリ施設に入所するも、半年後には再びリハビリ施設に入所。グラミー賞を受賞した「リハブ」はリハビリ施設へ入所した自身の体験を元に作られました。

2008年の第50回グラミー賞ではカニエ・ウェストの8部門に次ぐ主要4部門を含む6部門でノミネートされ、最優秀新人賞や最優秀楽曲賞など5部門を受賞しています。

リック・ルービン 

Rick Rubin(音楽プロデューサー、レコードレーベル経営者)1963年、ニューヨーク州ロングアイランド南部のユダヤ系アメリカ人の家庭に一人息子として生まれました。ニューヨーク大学在学中の1984年にデフ・ジャム・レコードを設立。同年に、LL・クール・J及びビースティ・ボーイズのシングルをリリースする。1986年にはRun-D.M.C.とエアロスミスによるコラボレーション、『Walk This Way』を手掛け、ヒップホップとロックの融合に成功する。2007年5月よりコロムビア・レコードの共同社長を務めています。2007年に、タイム誌の選ぶ世界で最も影響力のある100人に選ばれています。MTVは彼が「過去20年間で最も重要なプロデューサー」だとしています。ルックスもかなりインパクトのあるスタイルですが、一緒に仕事をしたミュージシャンから彼は「グル(導師)」のような存在だと言われています。プロデューサーとして、サウンドとアレンジには徹底的にこだわる一方で、アーティストには寛大な姿勢で接しているため、その人柄から慕われることも多いようです。